警察官ゆりさん(永田有理)は、アメリカ・ロサンゼルスで日本人女性として初の警察官となった異色の経歴を持つ人物です。
現在では、YoutubeやSNSでさまざまな社会問題について情報発信をしており、それらの問題に取り組む活動を行って注目を集めています。
若くして渡米し、結婚、出産、離婚を経験し、無職のシングルマザーとなった彼女がなぜ異国の地で警察官となったのか?
この記事では、そんな警察官ゆりさんのプロフィールやこれまでの経歴などを詳しく調査したいと思います。
警察官ゆりのプロフィール

警察官ゆりさんの本名は永田有理さんです。
東京都世田谷区出身で1980年生まれの現在44歳(2025年時点)です。
アメリカ・ロサンゼルスで日本人女性として初の警察官となりました。
そんな警察官ゆりさんのプロフィールをまとめました。
・名前:永田有理
・生年月日:1980年(2025年現在:44歳)
・出身地:東京都世田谷区
・身長:152cm
・国籍:日本→アメリカ国籍取得
・家族構成:再婚・雄飛さん、子供3人
(前夫との間に2人、再婚後1人)
・YouTube:「警察官ゆりのアメリカ生活」 (登録者35万人超)
警察官ゆりさんの渡米から、現在に至るまでの彼女のヒストリーをまとめたいと思います。
<渡米のきっかけ>
警察官ゆりさんは、中学時代はアトピー性皮膚炎によるいじめに悩まされるなど辛い青春時代を過ごしました。
高校生の時の自分のことを「日本の大学に進学する気になれなかった」と振り返っています。
両親も「アメリカにでも行って心機一転したほうがいいのでは?」と勧められたそうです。
そこで渡米を決意した理由について、インタビューで次のように語っています。
アメリカで英語を勉強しながら暮らしたら楽しそうだし、未来も広がるかと思い、渡米することにしました。
引用元:Yahoo News
高校卒業後の1998年、わずか18歳で単身渡米をしています。
<渡米後の生活>
渡米の当初は、カリフォルニア州のアーバインという町で、語学学校に通い卒業しています。
その後は、ロサンゼルスにある大学に入学しています。
音楽を専攻するが、才能がないことに気付き、ダンスに専攻を変更してダンサーを目指していたそうです。
<結婚・離婚、そしてシングルマザーへ>
在学中にアジア系アメリカ人男性と出会い23歳で学生結婚をしています。
24歳と27歳の時に2人の子供を出産しています。
大学は、卒業に必要な単位を取得しないまま中退しています。
7年間の専業主婦生活を送り、30歳で離婚し、無職の状態で2児のシングルマザーとなりました。
<警察官への道のり>
子育てをしながら家族を支えるためにさまざまな仕事を経験しました。
家族のためにより安定した生活を得るため、また憧れを持っていた警察官を目指すこと決意します。
警察官を目指すためには、アメリカ合衆国の市民権が必須条件でした。
知人などのつてを使って、永住権から市民権に切り替えることに成功し、日本国籍を放棄しアメリカ市民として宣誓するという大きな決断を下しました。
その後ロサンゼルス市警察(LAPD)の筆記試験を受験するも3回失敗し、このまま受験を続けても一生受からないと考え、仕事を辞めて、受験勉強に集中し、見事に合格されました。
ロサンゼルス市警察(LAPD)に合格したものの、日本の高校卒業資格が認められず、アメリカの高等学校卒業程度認定試験(GED)を受ける必要がありました。
生活資金が底をつきフルタイムで働きながら、必死に勉強し、33歳にしてアメリカの高校単位を取得しました。
2014年、34歳という最年長でLAPD ACADEMY(ロス市警察学校)に入学されました。
警察学校では、6か月間の過酷な訓練をクリアーし、2015年に見事に卒業を果たしました。
<警察官となって>
ロサンゼルス空港警察(LAXPD)でパトロールオフィサーとして、高犯罪発生エリアで24時間体制のパトロールや現場対応に従事していました。
また「人身売買」「家庭内暴力」「性犯罪」など社会問題に関わる犯罪の取締りをしていました。
警察官として勤務する傍らで、2021年にYouTubeチャンネル「警察官ゆりのアメリカ生活」を開設しました。
このチャンネルでは世界情勢や環境問題、人身売買について情報発信をしています。
同じ2021年に人身売買根絶を目指すNPO「LOVE SPECTRUM」を設立し、社会貢献活動を行っています。
2023年、薬物中毒者の逮捕中に相手に突き飛ばされて腰を強打する大怪我を負いました。
怪我の手術を受け、警察官の復帰を目指しましたが現場復帰は医師から困難と診断されました。
再手術が必要とされ、家族や医師と相談の上、警察官を休職する決断をしました。
2025年4月20日にXに警察官の退職の意向を投稿されています。
多分、もうすぐ退職します😔💔🚔 pic.twitter.com/nQPlTYKHEM
— Yuri (@yurilifeacademy) April 19, 2025
2025年8月の時点では「退職はしていないが休職中」とされており、自身のSNS発信でも「現役警察官」と記載している場合もあります。
<家族構成>
2023年8月に宮城県出身でミュージシャンの雄飛さんと婚約し、2024年1月に再婚されました。
また同年4月22日に3人目となる子どもを43歳で無事に出産し、現在は5人家族で暮らしています。
ここまで警察官ゆりさんのプロフィールや渡米からの彼女のヒストリーをまとめてきました。
では次に、警察官ゆりさんがアメリカで無職の2児のシングルマザーとなり、なぜ警察官になったのか理由を調査したいと思います。
警察官ゆりがアメリカで警察官になった理由は?

警察官ゆりさんが警察官を志した理由は、「人の役に立ちたい」という思いでした。
この思いについて、インタビューで次のように語っています。
「就労経験がなかった私は好きな仕事を選ぶこともできなかった。
確かにどんな仕事にも意味はあるけれど、果たして今、
私はどれだけ人の役に立てているのかなと。
どうせ同じ時間働くのなら、私にしかできないことをやりたいと思うようになったんです」
引用元:羅府新報
またその思いの根底には、「社会に貢献したい」「自分が弱者を救える人になりたい」という強い思いがあります。
無職のシングルマザーとなった当初は、家族の生活を養うため、当時アメリカに進出した「CoCo壱番屋」の1号店で就職しました。
その後、美容サロンから声がかかり、そちらに転職しています。
インタビューでその時の仕事のことを次のように語っています。
その仕事には喜びを感じられなくなってしまって……。
「あまりやりたくない仕事をして人生を終わりたくない」
引用元:Yahoo News
人の役に立てる仕事をしたいという欲求が抑えられなくなっていました。
引用元:Yahoo News
安定した収入を得るための定職を探しながらも「人の役に立てる仕事をしたい」という思いが強くなり、警察官になりたいという気持ちが芽生えたそうです。
まとめ
永田有理さん、通称「警察官ゆり」の人生は、困難に立ち向かい続ける勇気と、他者のために尽くしたいという強い使命感に支えられています。
18歳での単身渡米から始まり、無職のシングルマザーという厳しい状況を経て、34歳で警察官になるという夢を実現した彼女の軌跡は、多くの人に勇気と希望を与えています。
「年齢、性別、学歴、人種も関係なく、夢を叶えられる場所」としてアメリカを選び、日本国籍まで放棄して市民権を取得した彼女の決意の強さは並大抵のものではありません。
警察官として街の安全を守りながら、人身売買防止という社会問題にも取り組む姿は、真の意味での「人の役に立つ」生き方を体現していると言えるでしょう。